人気バンドSEKAI NO OWARI(セカオワ)のボーカル・Fukase(深瀬慧)さん。
独特な世界観と繊細な歌詞で多くのファンを魅了する一方、その裏には壮絶な過去と深い心の傷が隠されています。
かつて深瀬さんは、精神科の閉鎖病棟に入院していた経験を公表しました。
彼はいったいどんな病気を患い、なぜそこまで追い詰められてしまったのでしょうか。
この記事では、深瀬さんが抱えていた病気の真相と、閉鎖病棟での生活、そしてそこから立ち上がった彼の再生の物語を紹介します。
深瀬慧が抱えていた病気とは?
深瀬さんはこれまでに、自身がADHD(注意欠如・多動性障害)やパニック障害を抱えていることを公表しています。
特に留学中に発症したパニック障害は、彼の人生を大きく変える出来事でした。
高校を中退し、夢を追ってアメリカに留学したものの、慣れない環境で強いストレスを感じる日々が続きました。
その結果、突然息苦しさや動悸、強い不安感に襲われるようになり、精神的にも限界を迎えてしまいます。
これが、深瀬さんが帰国を余儀なくされた理由の一つです。
閉鎖病棟に入院していた?
帰国後、深瀬さんは医師の診断を受け、精神科の閉鎖病棟に入院しました。
当時を振り返り、彼はInstagramで次のように語っています。
「保護室という監視カメラの前で糞尿を垂れ流さなければいけない部屋に自分がいた時、一番つらかったのは時計がなかったことだった。何日閉じ込められているのか分からなかった」
「屈強な医者にズボンを脱がされ、筋肉麻酔を打たれて床に沈んだ時、自分は社会からドロップアウトしたと確信した」
このような過酷な入院生活は、10代の彼にとってまさに「世界の終わり」だったといいます。
しかし、この体験こそが、後に彼がバンド名を「SEKAI NO OWARI」と名付けるきっかけになりました。
中学時代にはいじめに苦しむ
深瀬さんの苦しみは、実は中学時代から始まっていました。
占い師・木下レオンさんに「人生で一番悪い時期は14歳」と指摘された際、深瀬さんは「中学2年のときに集団リンチに遭った」と明かしています。
「生意気だとか、カンパを払わないとか、そんな理由で殴られた」と語り、肋骨を3本折る大けがを負いました。
学校に戻っても、友人たちは誰も口をきいてくれず、孤立。心の居場所を完全に失ったといいます。
唯一彼に声をかけ、支え続けたのが、現在のバンドメンバーであるNakajinでした。
Nakajinは毎朝彼を迎えに行き、学校まで一緒に通っていたそうです。
この友情が、のちのセカオワ結成につながります。
闘病と再生、そして音楽へ
閉鎖病棟での生活は、薬の副作用との戦いでもありました。
強い薬の影響で体重は激減し、感情のコントロールも難しくなったと語っています。
「家族をボロボロにした」と振り返るほど、苦しい時期だったようです。
しかし、そんな闇の中で、彼は音楽に出会います。
「音楽だけが自分を受け入れてくれた」と語り、少しずつ創作に没頭するようになりました。
この経験が、彼の唯一無二の感性と表現力を育てる土台となったのです。
現在では体調も回復し、2025年には「酷い船酔いのような状態が2年間続いた」との投稿を通じて、心身の不調を乗り越えたことを報告しています。
「ようやく自分の人生を前に進めるようになった」と語るその姿に、多くのファンが勇気づけられました。
まとめ
SEKAI NO OWARIの深瀬慧さんは、若くしていじめやパニック障害、そして閉鎖病棟での過酷な経験を乗り越えてきました。
一時は「社会からドロップアウトした」と感じた彼が、今では日本を代表するアーティストとして多くの人に希望を与えています。
深瀬さんの音楽が心に響くのは、単なる才能ではなく、苦しみや絶望を知る人間だからこそ表現できる“生きるリアル”があるからです。
彼の歩んできた道のりは、同じように苦しみを抱える人にとって、大きな励ましとなるでしょう。


