元大相撲小結で、プロレスラー・総合格闘家としても活躍した安田忠夫さんが、62歳で亡くなっていたことが明らかになりました。 相撲、プロレス、格闘技と異なる世界で強烈な存在感を放った安田さんだけに、突然の訃報に驚いた人も多いのではないでしょうか。 本記事では、安田忠夫さんのこれまでの歩みを振り返りながら、現時点で分かっている死因について整理します。
安田忠夫さんの訃報と死因について
複数の関係者によると、安田忠夫さんは2月10日までに亡くなっていたことが確認されています。 ただし、死因については現時点では公表されておらず、詳細は明らかになっていません。 近年は表舞台から離れた生活を送っていたこともあり、ネット上ではさまざまな憶測が出ていますが、公式な発表がない以上、断定的な情報には注意が必要です。
元力士「孝乃富士」としての相撲人生
九重部屋に入門、幕内・小結まで昇進
安田忠夫さんは1963年10月9日、東京都大田区に生まれました。 中学卒業後に九重部屋へ入門し、1979年春場所で初土俵を踏みます。 しこ名を「孝乃富士」と改め、着実に番付を上げていき、1986年夏場所で新入幕を果たしました。
その後は小結まで昇進し、将来を期待される存在でしたが、1992年夏場所を最後に現役を引退。 相撲界を去る決断は、当時多くのファンに衝撃を与えました。
新日本プロレス入門とブレイク
武道館デビューで注目を集める
相撲引退後の1993年、安田さんは新日本プロレスに入門。 翌1994年、日本武道館での馳浩戦でプロレスデビューを果たします。 身長195cm・体重130kgという圧倒的な体格を武器に、豪快なファイトスタイルで一気に人気選手となりました。
総合格闘技での大金星
2001年には総合格闘技にも挑戦。 大晦日の「INOKI BOM-BA-YE 2001」では、ジェロム・レ・バンナを破る番狂わせを起こし、一躍脚光を浴びます。 翌2002年にはIWGPヘビー級王座を獲得し、キャリアの絶頂期を迎えました。
波乱の後半生と苦悩
トラブルによる新日本プロレス解雇
一方で、安田さんのキャリアは順風満帆とはいきませんでした。 新日本プロレス在籍中、度重なる素行面の問題から、2004年に無期限出場停止処分を受け、翌年には契約を解除されます。
自殺未遂と引退
2007年には自宅で自殺を図ったことが報じられ、精神的な苦しさを抱えていたことも明らかになりました。 その後もインディー団体などでリングに上がり続けましたが、2011年2月、後楽園ホールでの引退記念興行をもって現役を引退しています。
引退後の生活
引退後は芸能事務所に所属し、タレント活動にも挑戦しましたが長くは続きませんでした。 その後は都内で列車見張員として働くなど、定職に就かない時期もあったとされています。 華やかなリング上の姿とは対照的な、厳しい現実と向き合う日々を送っていたようです。
まとめ
元大相撲小結、そしてプロレスラー・格闘家として一時代を築いた安田忠夫さん。 その人生は、栄光と挫折が交錯する非常に波乱に満ちたものでした。
現時点では死因は公表されておらず、詳細は不明ですが、多くのファンに強烈な記憶を残した存在であることは間違いありません。 心よりご冥福をお祈りいたします。
