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【訃報】嵐山光三郎さんが死去。死因とは何?以前から病気だったのは本当?

文筆家としてだけでなく、テレビやラジオでも親しまれた作家・嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)さんが、2025年11月14日に亡くなりました。享年83歳。長年にわたってエッセイや評論の世界で活躍してきた嵐山さんの突然の訃報に、多くのファンや文化人から悲しみの声が上がっています。
今回は、死因やこれまでの健康状態、そして嵐山さんの生涯と功績について詳しくまとめました。

目次

嵐山光三郎さんが死去。死因は「肺炎」

報道によると、嵐山光三郎さんは11月14日、肺炎のため亡くなったとのことです。葬儀はすでに近親者のみで執り行われました。
近年は高齢ながらも執筆活動を続けており、突然の訃報に驚いた方も多いでしょう。

嵐山さんは晩年、体調を崩しながらもユーモアを忘れず、老いや病気についてもエッセイの題材にしていました。最期まで「人生を面白がる」という姿勢を貫いた人物だったといえるでしょう。

以前から病気だったという噂は本当?

大きな持病はなかったが、加齢による不調も

2023年時点の取材では、嵐山さんは特に大きな病気を公表していませんでした。
しかし、エッセイの中では腱鞘炎や肩こり、加齢による体調不良について語る場面もあり、年齢相応の不調を抱えながらも仕事を続けていたようです。

アルコール依存症の経験も明かしていた

2018年に出版したエッセイ『老いてますます官能的』では、アルコール依存症の経験を自ら告白。
そこでも悲観的ではなく、ユーモラスに「老いと病を楽しむ」姿勢を示していました。嵐山さんにとって、病や老いは「恐れるものではなく、笑いに変える題材」だったのかもしれません。

作家・嵐山光三郎さんの経歴と功績

嵐山光三郎さん(本名:祐乗坊英昭)は、1942年1月10日、静岡県浜松市に生まれました。國學院大學文学部を卒業後、1965年に平凡社に入社し、雑誌『太陽』の編集に16年間携わりました。その後独立し、文筆家として活躍します。

1988年には『素人庖丁記』で講談社エッセイ賞を受賞。さらに1997年には名著『文人悪食』を刊行し、夏目漱石や森鴎外ら文豪たちの“食”を通じて文学の本質に迫りました。
2006年の『悪党芭蕉』では泉鏡花文学賞を受賞し、翌年には読売文学賞にも選ばれています。

テレビでも人気に

その軽妙で人間味あふれる語り口から、テレビ番組「笑っていいとも!増刊号」などにも出演。作家でありながらタレント的な一面も持ち合わせ、幅広い世代に親しまれました。

家族構成は?妻や息子の存在

嵐山さんの家族については、一般人のため詳しい情報は公表されていません。ただ、1960年代後半に結婚しており、長年連れ添ったがいることが分かっています。
著書『妻との修復』(2008年)では、妻との関係をユーモラスに描きながらも、夫婦関係の難しさを軽やかに表現していました。

また「息子」という検索ワードが関連して表示されるものの、本人が子どもについて語った記録はなく、息子の存在は確認されていません。

国立市に根ざした暮らし

嵐山さんは静岡県浜松市で生まれ、8歳の頃から東京都国立市で暮らしてきました。
地域の俳句会や講演活動にも積極的に参加し、「人とのつながり」を大切にする姿勢を見せていました。都市化が進む中でも、国立市の自然と人情を愛し、創作の原動力としてきたようです。

嵐山光三郎さんの言葉と人生観

嵐山さんは晩年まで「老いも病も楽しむ」という独特の人生観を貫いていました。
「年を取っても官能的に、自由に生きる」「老後も笑い飛ばす」という彼のスタンスは、多くの読者に勇気を与え続けました。

彼の作品からは、人生を深刻に受け止めすぎず、「遊び心を持って生きる」ことの大切さが伝わってきます。
最後まで創作を続けた嵐山光三郎さんの姿勢は、多くの人の記憶に残るでしょう。

まとめ

作家・嵐山光三郎さんが肺炎のため83歳で亡くなりました。
病気の噂は以前からありましたが、大きな持病はなく、晩年までユーモアあふれる筆致で活躍していました。
「文人悪食」や「悪党芭蕉」などの名作を通じて、文学と人間の本質を見つめ続けた嵐山さん。
その人生は、「老いを恐れず、笑いと共に生きる」という彼の信念そのものでした。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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