エッセイストとして軽妙な文章を届け続け、テレビでも親しまれてきた作家・嵐山光三郎さんが、2025年11月14日に肺炎のため83歳で亡くなりました。
かつて「文人悪食」「悪党芭蕉」などの名著を残し、旅や食をユーモラスに語った嵐山さん。近年は病気の噂もありましたが、実際どのような体調だったのでしょうか。
この記事では、嵐山光三郎さんの死因、過去の病歴、生前の活動、そして家族について分かりやすくまとめます。
嵐山光三郎さんの死因は肺炎
報道によると、嵐山光三郎さんは肺炎のため亡くなられました。告別式は近親者のみで執り行われたとのことです。
高齢者にとって肺炎は命を落とす危険が高い病気で、季節の変わり目や体力が落ちたタイミングで発症するケースも多くあります。
近年の嵐山さんは80代に入り、現役で執筆活動を続けていたものの、体力面では負担が大きかった可能性もあるでしょう。
以前からの病気が原因?
ネット上では「病気だったのでは?」という声もありますが、公式に大きな持病が公表されていたわけではありません。とはいえ、エッセイの中では腱鞘炎・肩こりなどの加齢に伴う不調や、アルコール依存の経験など、身体について語ることがありました。
しかし「命に関わる大病」といった報道はなく、今回の肺炎が直接の死因となったようです。
過去に語っていた“病気”と老いへの向き合い方
嵐山さんは、病気や老いをもユーモアとして昇華する文章で人気を集めてきました。
- アルコール依存症の経験を記した『老いてますます官能的』
- 腱鞘炎や肩こりを自虐的に語ったエッセイ「愉快な老後」
- 「60代は病気の話が中心」と語るなど、老いを楽しむ姿勢
病気を“暗いもの”として捉えるのではなく、「笑い飛ばしながら生きる」という独自の姿勢は多くの読者に勇気を与えました。
執筆は80代になっても継続
2023年時点でも、週刊朝日で長期連載『コンセント抜いたか』を続けており、実に24年以上にわたるライフワークでした。高齢になっても「枯れるわけにはいかない」と語り、文章活動への情熱は衰えませんでした。
嵐山光三郎さんの家族構成
家族については多くが非公表ですが、わかっている範囲では以下の通りです。
■ 妻
1960年代後半に結婚。エッセイでは「妻」をユーモラスに描くことが多く、『妻との修復』では“超獣”という表現で語り、夫婦関係を独自の視点で描いています。
■ 息子の存在は?
ネット検索では「息子」と関連ワードが表示されるものの、確かな情報はありません。子どもがいない可能性もあり、いても一般人のため公開されていないようです。
■ 両親
父親は認知症を患い、介護や看取りを描いた著作『よろしく』があります。母親は俳句を愛する女性で、エッセイにもたびたび登場し、100歳を超えても句集を出版するほどの強い生命力を持っていました。
国立市での生活と地域活動
嵐山光三郎さんは生まれは静岡県浜松市ですが、8歳から東京都国立市で暮らしていました。生涯のほとんどを同地で過ごし、地域の句会や講演会にも積極的に参加。人と人のつながりが薄れつつある現代で、「交流の場をつくること」を大切にしていました。
豊かな自然と落ち着いた街並みの国立市は、嵐山さんの創作意欲を支える大切な場所だったと言えるでしょう。
まとめ
嵐山光三郎さんは、エッセイストとしてだけでなく、テレビ出演や地域活動など、幅広い分野で活躍した作家でした。今回の死因は肺炎と発表されています。
大病の噂はあったものの、実際には様々な小さな体調不良を語りつつも執筆を続け、老いすらネタに変えて楽しむ姿勢が印象的でした。妻や母との関係をユーモラスに描いた作品も多く、家族とのつながりを大切にしながら人生を歩んだことがうかがえます。
80歳を超えてもなお現役で文章を書き続けた嵐山光三郎さん。その軽やかで温かい言葉は、これからも多くの読者に愛され続けることでしょう。
